Column / コラム

スキーとの出会いから現在


いつから始めたといった記憶はなく、庭先での竹スキーから始まり。
私の場合、バランス感覚が悪いのか、竹スキーはすぐ転んでしまい、ミニスキーは1日で折ってしまうので、これなら大丈夫だろうと桜の木のスキー(長靴を革のベルトで固定する)を小学校1年のときに祖父に買ってもらったのが始まりです。



近所にスキー場は無く、自宅の横の農道を踏み固めて15m位のスロープで暗くなるまで何度も直滑降を繰り返した記憶があります。


小学校高学年になり、本格的なバインディング式のスキー板と登山靴のようなスキー靴を買ってもらい裏山で滑っており、1年に1回鉛温泉スキー場(岩手県花巻市)に家族で行くのが楽しみでした。
スキー場でのスキーは、登る苦労がなく、何回も滑れるのが魅力でした。

裏山でのスキーは、スキーで踏み上げて1時間ほど登り、5分もかからず踏み上げたラインを滑り降りる。
ラインを外すと失速して止まってしまう。
桜の木のスキー板は、ワックスをスキーの裏が銀色になるまで生塗りしないと、雪が板に張り付き重くなるといったものでした。


中学に入った位にヤマハのグラススキーを買ってもらったときは、雪が張り付かなく良く滑るのに驚きました。

就職して関東のスキー場で滑り、人が多すぎて直滑で滑る隙間がなく、ゆっくりと弧を描くように滑らないと危ない場面に出くわし、自分にはその技術がない事に気づき、以来スキースクールに通い詰めるようになりました。

会社の同期の小笠原さんに「競技スキーは人を気にしなくて滑れていいよ」と言われ、子供のころの直滑降のようなスキーができると思い、2007年の10月にスラロームに入会させていただき、競技スキーを始めました。

スキーはソコソコできるようになったと勘違いしていた自分は、滑れないのは、板が悪いとかワックスが悪いとか、チューンナップが悪いとか、色々試してみなしたが、結局は自分の滑りが未熟ということに気づかされ、改めてスキーのトレーニングをしている次第です。


SATの競技本部専門員になったきっかけは、レースのポイントやルール等を体系的に学ぼうと旗門審判員を受験した際に、SATの競技本部役員からレース運営の人手が足りなく、苦労していると話があり、自分がスキーを自分が楽しむだけでなく、誰かが裏方をしないとレースができないと思い、スラロームから推薦を頂き2010-2011シーズンからSAT競技専門員として活動を開始しました。

これからもスキー競技が続けられるよう微力ながらお手伝いできればと思います。



2011-9月 阿部 浩幸