Column / コラム


ありがとう

工藤ちゃん




皆様へ

誰からも「工藤ちゃん」と呼ばれ、みんなから慕われていた
そんな工藤ちゃんとの出会いは今から20年位前、
「サーファーの工藤ちゃん」として友人から紹介されました。

そのころ工藤ちゃんはサーフィン関連のメーカーに勤めており、スキーの話などしたこともなかったのですが、私が競技スキーをやり始めていた時期でもあり、
スキーを一生懸命にやっているという話を聞いたようで

「俺もちょっとレースやってました。」

そんな一言から、スキーの話をするようになり、
それでは一緒に滑りに行こうと誘ったのが始まりでした。



初めて一緒に滑りに行き、そのうまさに驚かされ、
その頃出場していた草レースに急遽エントリー。

私たちは もちろん本格的なレーサースタイルなのに対して、工藤ちゃんはオーバーパンツにセーター着てサングラスと、どこから見ても一般スキーヤー。

結果は、そんな工藤ちゃんにあっさりまくられてしまった。。。

「ちょっとレースをやっていた」って・・・

色々話を聞くうちに輝かしいジュニア時代が・・・・
青森県の強化指定を受けてた・・・・
県の代表として全国大会へ出場していた・・・・
プロレースの前走やっていた・・・・・

聞けばどんどんと凄い話が出てきました。

ただ、今はもうレースも全然やってないという話しに

「それだったら一緒にやらない?」

「社会人の大会もいろいろあって面白いからまたはじめたら?」

との誘いからスラロームスキークラブへやってきたのです。


工藤ちゃんがクラブ員になるにあたっては

まずは、吉岡さんを通して野中さん、野中さんを通して私が、私から工藤へと
それぞれ4人は歳も住まいも学校などもバラバラでしたが、ちょっとした繋がりがどんどん長く太く繋がっていきました。

その当時はいつも一緒に行動を共にして、今ほどアルペンの練習環境が無く、
練習する場を求めていろいろなチームに掛け合い、お世話になった事を思い出します。

チームラッシュ・二十日石・風花などでしたが、みんな私たちを快く受け入れてくれました。


都連の大会へ出はじめ、少しずつ昔の感覚を取り戻し
都連レーサーの中で 「スラロームの工藤ちゃん」としての存在感も年々大きくなっていき

そして程なくトップグループの中へ入っていきました。


その頃はいつも一緒にスキーへ行っていましたが、ほとんどの大会で表彰されるので、競技終了まで帰れなくて帰宅がよく遅くなりました。


その後、結婚・育児・仕事などがありスキーへ行く日数も減り、初滑りが大会当日、なんてことが多くなり、
以前のような成績が出なくなっても、ずっと大会へは出場し続けており、工藤なりのスキーへの愛着が、
どんな状況になっても失われていませんでした。


車で一緒にスキーへ行く時などには、スキーの技術的な話しを何度もしたことを思い出します。


工藤のスキーを見る眼は的確であり、またスキーの事をよく研究しており、よくアドバイスも貰いました。


工藤スタイルの滑りは、静かであり、滑らかであり、速かった。


ここ数年は、レース以外にクラブのスキー講師としての活動や、小学生の息子仲間達とのスキーなど
いろいろな方面でスキーに携わり、
今年の3月には、息子がレースデビューし、ほんとうに嬉しそうでした。

今、小学5年生ですがきっとスキーを続けてくれると思います。

いつの日か

「スラロームの工藤選手」

としての姿を楽しみに待っていたいと思います。




皆さんにも

それぞれにいろいろな思いが残っている事と思います。

そんな工藤ちゃんから受け取った様々なスキーへの思いを大切に育てていってください。






工藤へ


1週間前

一緒に飲みに行った時にもずっとスキーの話をしていたね。

今シーズン最後の大会に出た時の滑りに対して
めずらしく褒めてくれたけど、
でも、褒めて終わりなんて・・・

直接話をすることが出来なくなったけれど
色々な言葉は生きており忘れない


何かの歌ではないけれど
青森で眠っている事はないだろう

きっとシーズンになると菅平の見晴らしのいいところから
眺めているだろうね

滑りを見てダメだしされないよう頑張るか


そして
きっといつか何処かでまた一緒に滑る時が来るだろう

その時に、上手くなったと言われるようにこれからも続けていく

その時までひとまずゆっくり休んでいてくれ。


2010
6月浅見